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創業者と粉体技術のかかわり

創業したときの社名は「大阪タービン水車製造所」となっていました。文字通り水車やタービンポンプなどの機器製造・販売が主たる業務としており、「粉」に関係する会社ではありませんでした。
「粉」にかかわることになったのは複数の理由があります。その一つは、初代社長である細川永一は島津製作所の二代目社長である島津源蔵氏のところで働いていたことにあります。当時、源蔵氏は蓄電池用の鉛の粉砕に関する研究を行っておられ、永一がその開発・製造を手伝っていたのです。なお永一が独立する際、源蔵氏から二台の旋盤が贈られており、これが創業時に活躍することになりました。余談ですが、源蔵氏は後に日本電池株式会社(現(株)ジーエス・ユアサ コーポレーション、GSは氏のイニシャル)を設立されています。
また、当時の主な納入先の一つであった(株)桃谷順天館とのビジネスを通して、粉体、特に粉砕機の性能が最終製品の品質に大きな影響を与えるという知見を得たことも、永一が粉砕機に興味を持つことになった理由の一つです。そして最後のひと押しが、1927(昭和2)年に、アメリカ・レイモンド社の微粉砕機のカタログを見て興味をひかれたことでした。
この後、永一は微粉砕機の研究開発に没頭、3年の歳月を掛けて微粉砕機ミクロンミルを開発しました。この装置は衝撃・せん断・摩擦の三種類の力を利用する、独特な構造をしていました。ミクロンミルは大ヒットすることになり、経営を支える大きな柱となりました。